今回は、大学病院のセンターで働いていた職員が、上司らから10件にも及ぶパワハラを受けたとして、500万円の損害賠償を求めた事件を解説します。 結果として裁判所は一部をパワハラと認定し、50万円の支払いを命じました。
法的に「どこからがアウトで、どこまでがセーフなのか」、そのリアルな境界線を見ていきましょう。
| 事件名 | 不法行為に基づく損害賠償請求事件 |
|---|---|
| 裁判所 | 鳥取地方裁判所 米子支部 民事部 |
| 裁判年月日 | 令和7年9月25日 |
| 結果 | 一部認容 50万円 |
事件の概要:大学病院内で起きた泥沼のトラブル
原告は、大学病院内のセンターで「産官学連携コーディネーター」として有期雇用されていた職員です。 被告は病院側で、原告は在職中に複数の上司(教授、准教授、病院長など)から執拗なパワハラを受けたと主張して提訴しました。 最終的に原告は精神的な不調から「就労困難」と判断され、雇用契約が終了(雇止め)となっています。原告は、これらの扱いを含めて合計10件の行為をパワハラだとして、500万円を請求しました。
【事実関係の経緯】大学病院パワハラ・雇止め事件のタイムライン
| 時期・項目 | 基本的な経緯・事実関係 |
| 登場人物 | ・原告: 大学病院内のセンターに有期雇用された「産官学連携コーディネーター」の職員。 ・被告(大学側): 大学病院を開設・運営する大学。 ・上司ら: センター長(教授)、部門長(准教授)、病院長など。 |
| 平成27年4月 (入職) | 原告が、被告のセンターにおける産官学連携コーディネーターとして雇用され、勤務を開始した。 |
| 平成27年〜28年 (業務とトラブル) | 原告は、シンポジウムの準備や自治体との連携案件など様々な業務に関与した。一方で、上司との業務上の意見対立や、原告の業務パソコンへの不正アクセスの疑いなどを巡るトラブルが起きていた。 |
| 平成28年12月 (体調不良の報告) | 原告が、病名を「不安性障害」とする診断書を被告に提出した。 |
| 平成29年1月以降 (受診命令) | 被告(病院側)は、原告の言動や体調を踏まえ、指定医や産業医の診察を受けるよう業務命令を出した。 |
| 平成29年3月31日 (雇用の終了) | 被告は、産業医の判断等をもとに「原告は就労継続が困難な状態にある」と判断。原告に雇用停止文書への署名押印を求め、原告が応じたことで労働契約が終了した。 |
原告の法的主張(不法行為に基づく損害賠償請求)
原告(元職員)は、被告(大学側)に対し、上司らの不法行為に関する使用者責任等を問い、損害賠償として500万円を請求しました。その主張は、主に以下の法的要件に沿って展開されています。
- 業務執行中の違法な行為の存在(違法性): 原告は、教授や病院長などの上司らから、計10件に及ぶ違法なパワハラを受けたと主張しました。会議での「お前なんかに被告を良くしてもらおうなんて思わんわ」という怒声や罵倒、事実に基づかない不当な叱責と業務の剥奪、執拗な報告書の提出要求や隔離を目的とした席替えなどが、社会通念上許容されない違法行為であると訴えました。
- 損害の発生と因果関係: 原告は、これらの一連のパワハラ行為によって人としての尊厳を侵され、精神的に深く傷つけられた上、最終的に仕事を奪われたと主張しました。原告が受けた精神的苦痛は極めて甚大であるとして、慰謝料500万円が相当であると主張しています。
【図解】泥沼の対立!原告と被告の主張まとめ
裁判では、原告が主張した10件のパワハラ行為について、被告(大学病院側)は「正当な指導や業務上の裁量である」として徹底抗戦しました。
| 争点(主張されたパワハラ) | 原告(元職員)の主張 | 被告(大学病院側)の反論 |
| ① 会議での暴言 | 会議中、D④教授から全員の面前で「お前なんかに被告を良くしてもらおうなんて思わんわ」と怒鳴られ、罵倒されたと主張。 | 原告から不正の隠蔽だと曲解・論難されたため、強い調子で反対意見を述べたに過ぎないと反論。 |
| ② 業務外の会食での威圧 | 業務時間外の会食に呼び出され、「被告に逆らうと米子に住めなくなるぞ」と威圧された上、暴行を受けたと主張。 | 原告の仕事の進め方に問題があったため酒席で指導しただけであり、暴行や威圧的発言はしていないと反論。 |
| ③ 事実無根の叱責と 業務の剥奪 | 病院長から「上司に無断で案件を進めた」と事実無根の叱責を受け、担当業務を全て剥奪されたと主張。 | 原告が実質的な協議を上司に無断で進めており、叱責は事実に基づく。配置転換も相当な措置だと反論。 |
| ④ 席替え(隔離)と 過剰な報告要求 | 監視目的で席替えをされ孤立させられた上、報告書に「意味不明」などと書かれ再提出を強要されたと主張。 | 担当業務に応じた合理的な席替えである。報告書の再提出も、業務管理のための正当な指導だと反論。 |
| ⑤ 受診命令と雇止め | 職場から排除する目的で精神科を受診させられ、大学側の意を汲んだ医師の診断により不当に雇止めされたと主張。 | 異常な言動があった原告への安全配慮義務としての受診指示であり、休職・雇止めは正当な判断だと反論。 |
指導?パワハラ? :「違法性の境界線」
裁判所は、上司の行為が「業務上の適正な範囲」に収まっているか、それとも「社会通念上許容される限度を超えているか」でパワハラの違法性を判断します。
| ハラスメントの類型 | 【セーフ】適法な業務指導・裁量 | 【アウト】違法なパワハラ(不法行為) |
| ① 精神的な攻撃 (暴言・叱責) | 業務上のミスに対し、改善を促すために厳しく注意する。「ここが間違っているから再提出して」と客観的に指摘する。 | 感情的な罵倒や人格否定。「お前なんかに良くしてもらおうと思わんわ」「意味不明」など、指導に不要な辛辣な言葉を浴びせる。 |
| ② 過小な要求 (業務の剥奪) | 本人の能力や職場のトラブル等を考慮し、一時的に負担の軽い補助的な業務に回す。 | 事実無根の理由で不当に叱責した上で、嫌がらせのようにこれまでの担当業務を全て剥奪する。 |
| ③ 過大な要求 (業務の付与) | 本来の担当外であっても、これまでの経緯から見て合理的な関連業務(例:外部講師との精算窓口など)を任せる。 | 到底達成不可能なノルマを課したり、嫌がらせ目的で本来の業務と全く無関係な雑務ばかりを強制したりする。 |
| ④ 人間関係からの切り離し (隔離・仲間外し) | 組織体制の変更や、業務効率化・トラブル防止を目的とした合理的な「席替え」を行う。 | 嫌がらせ目的で1人だけ別室に隔離する。 |
| ⑤ 個の侵害・優越的地位の濫用 | 組織のルールに基づき、部下の外部活動等に対して上司として正当な「事前の承認」や報告を求める。 | 業務上の接点が薄いのに長時間の会食に呼び出して威圧したり、明確な根拠を示さずに「そんな態度なら認めないよ」と地位を利用して妨害したりする。 |
裁判所のジャッジメント
裁判所は、原告が主張した全10件のパワハラのうち、会議での「お前なんかに」という暴言、長時間の会食での威圧、事実無根の叱責、報告書への「意味不明」等の辛辣なコメントなど、計5件を不法行為と認定しました。一方で、席替えや日々の報告要求、受診命令や最終的な雇止め等は「上司の正当な裁量・指導の範囲内」として適法と判断。結果として、請求額500万円に対し50万円の賠償を命じる判決を下しました。
裁判所が認定した「アウト(違法)」なパワハラ
裁判所は、原告が主張した10件のうち、以下の5件について「不法行為(パワハラ)」を認定しました。
- 会議での感情的な暴言 会議中、意見を述べた原告に対し、教授が「お前なんかに被告を良くしてもらおうなんて思わんわ」と発言しました。裁判所は、これが正当な反論の域を超えた、原告を罵倒する攻撃的な暴言であるとして違法と判断しました。
- 長時間の会食での威圧と不適切な身体的接触 業務上の接点が薄い教授が、原告を約5時間にも及ぶ業務外の会食に呼び出しました。その際、威圧的な発言や原告の腕へのボディタッチがあったとされ、精神的苦痛を与えた不法行為と認定されました。
- 事実調査に基づかない不当な叱責 病院長が、原告に対して「上司に無断で連携案件を進めた」等と厳しく注意し、業務内容を変更させました。しかし、実際には事前の事実調査を怠っており、事実に基づかない不当な叱責であったとして違法と判断されました。
- 報告書への「意味不明」などの辛辣なコメント 准教授が原告に報告書の再提出を求める際、「意味不明」「本当に商品を開発する気があるのですか?」「成果が全然見えません」などの辛辣なコメントを付記しました。裁判所は、これらが業務指導のために不必要であり、単に非難・否定するだけで指導の範囲を逸脱していると認定しました。
- 外部講演の手続に関する威圧的発言 原告の外部講演に関する手続において、准教授が明確なルールや根拠を示さずに自身の事前承認を強く求め、「そんな態度だと(講演を)認められないよ」と拒否するかのような発言を行いました。これが優越的な地位を利用した威圧的な行為とされました。
裁判所が「セーフ(適法)」と認定した行為
一方で、原告がパワハラだと主張したものの、裁判所が「業務上の裁量や指導の範囲内」として違法性を否定した行為もあります。
- 業務上の指示や配置転換 シンポジウムの会場変更や精算業務の指示について、原告は負担増を訴えましたが、裁判所は客観的な状況から不合理な判断ではないとしました。また、席替えや「業務中に不必要な私語を控えるように」との注意も、他の職員への配慮など合理的な理由があり、原告を孤立させる意図はないと判断されました。
- 業務報告書の提出指示 准教授が原告のみに日々のコンタクト記録や週間報告書の提出を求めた点について、業務状況を管理する目的であり、書式の作成負担も過大ではないため、上司の裁量の範囲内とされました。
- 医師の受診指示と雇止め 病院側が原告に精神科等の受診を指示し、最終的に産業医の判断をもとに雇止めとした点について、原告の当時の不安定な言動などを踏まえれば、安全配慮義務の観点からも不合理な措置ではないと判断されました。
なぜ請求額500万円が「50万円」になったのか?
原告は500万円の慰謝料を請求しましたが、裁判所が命じた賠償額は「50万円」でした。 その理由は、認定されたパワハラの経緯や内容、原告が受けた精神的苦痛の程度など「一切の事情」を考慮した結果です。 教授らによる暴言や威圧的な態度は違法とされたものの、原告側にも手続の認識不足や上司の指示に対する反発があったこと、また雇止め自体は適法とされたことなどが、慰謝料が大きく減額された要因と考えられます。
【図解】安すぎる?高すぎる?パワハラ慰謝料の相場と裁判例
日本の裁判所が認めるパワハラの「慰謝料」は、被害者が受けたダメージや行為の悪質性によって大きく変動します。(※休業損害や未払残業代などは含まず、純粋な慰謝料のみの金額です)
| 被害レベル | パワハラの具体的内容(裁判例の傾向) | 慰謝料の相場・判決額 | 金額を左右する裁判所の判断ポイント |
| 【軽度】 単発の暴言や 嫌がらせ | ・会議で「お前なんかに」と怒鳴られた ・不当な叱責や、合理性のない報告書の再提出を強要された ・無視や業務外し(短期間) | 約10万円 〜 50万円 | 暴力や退職への追い込みがない場合、日本の裁判所の慰謝料算定は非常にシビアです。(※今回の大学病院の事件も、5件の不法行為が認められて50万円でした) |
| 【中等度】 継続的な暴言・ 軽度な暴力 | ・数ヶ月〜年単位で「バカ」「辞めろ」などの人格否定を日常的に繰り返された ・物を投げつけられたり、胸ぐらをつかまれたりするなどの有形力行使があった | 約50万円 〜 100万円 | 執拗さ(期間の長さ)や、パワハラが日常化していたかどうかが重視されます。明確な録音データや診断書などの客観的証拠があることで金額が上がります。 |
| 【重度】 精神疾患の罹患・ 退職の強要 | ・過酷なパワハラが原因で重度のうつ病や適応障害を発症した ・退職届を書くまで個室に監禁され、執拗な退職勧奨を受けた | 約100万円 〜 300万円 | 「精神疾患の発症」と「パワハラ」の因果関係が医学的・客観的に証明された場合、慰謝料は跳ね上がります。不当解雇とセットで争われることが多い層です。 |
| 【最重度】 自殺・自死 | ・上司からの極めて悪質な暴言、暴行、過重労働の強要により、被害者が自ら命を絶ってしまった | 約2,000万円 〜 2,500万円 | 死亡に対する慰謝料です。これに加えて「生きていれば得られたはずの賃金(逸失利益)」が請求されるため、総額の賠償金は数千万円〜1億円超に達することが一般的です。 |
実務コラム:パワハラを巡る三視点(会社・被害者・加害者)
なぜパワハラで「会社」が責任を負うのか?
パワハラ裁判で会社が訴えられる法的根拠は、主に「使用者責任(民法715条)」と「安全配慮義務違反(民法415条)」です。
- 会社が責任を負う理由: 会社は従業員を働かせて利益を得ている以上、その過程で生じた損害も負担すべきという「報償責任」の考え方に基づきます。さらに、会社には従業員が心身ともに安全に働ける環境を整える義務があります。
- 本人以上に会社の責任が重くなるケース: 加害者個人の責任にとどまらず、会社が「被害申告の放置」「組織的な隠蔽」「相談体制の機能不全」などを引き起こした場合、組織としての過失が極めて悪質とみなされます。その結果、個人の不法行為以上に、会社単独の安全配慮義務違反として重い賠償責任を問われることがあります。
【図解】パワハラを防ぐ!会社・上司・部下の「3つの予防策」
| 対象者 | 具体的な予防策・アクションプラン |
| 会社 (経営層・人事) | ・明確なルール化と研修: 就業規則にパワハラの定義や懲戒規定を明記し、管理職向けの研修を定期的に実施する。 ・中立な相談窓口の設置: 従業員が安心して通報できる体制を整える。 ・客観的で慎重な事実調査: トラブル時は一方の言い分だけを鵜呑みにせず、証拠に基づいた事実確認を徹底する(※今回の裁判のように、事実確認を怠った安易な叱責や配置転換は会社自身の首を絞めます)。 |
| 上司 (加害者にならないために) | ・法的な境界線の理解: 「指導」と「パワハラ」の違いを認識し、地位を利用した威圧的な発言を控える。 ・感情的な言葉の排除: 「意味不明」などの人格否定や辛辣な言葉を避け、業務改善のための具体的な指摘に留める。 ・客観的な指導記録の保存: 言った言わないのトラブルを防ぐため、業務指示や指導の経緯をメール等で記録に残す。 |
| 部下 (被害を防ぐ・身を守る) | ・客観的な証拠の確保: 暴言や理不尽な指示を受けた際は、日時、場所、発言内容を詳細なメモやICレコーダー、メールの履歴として確実に残す。 ・早めの相談・SOS: 精神的に追い詰められる前に、社内の窓口や産業医、労働基準監督署に相談する。 ・冷静な見極め: 上司の言葉が「不当な攻撃」なのか「正当な業務指導」なのかを客観的に見極める知識を持つ。 |


