テレビのコメンテーターとして活躍する弁護士が、番組内で「弁護団の弁護士たちをみんなで懲戒請求しよう!」と呼びかけた結果、どうなったかご存知でしょうか?
今回は、実際にあった「懲戒請求扇動事件」を題材に、世間の正義感から来る行動がなぜ「不法行為(違法)」と判断されたのか、そして「刑事弁護人の本当の役割」について科学します。
【背景となった殺人事件】白昼の惨劇…
| 項目 | 事件の客観的事実(あらすじ) |
| 加害者 | 犯行当時18歳の少年(本件被告人)。 |
| 被害者 | 当時23歳の主婦、およびその長女(生後11か月)。 |
| 事件の発端 | 被告人が白昼、配水管の検査を装って被害者方のアパートの一室に上がり込んだ。 |
| 主婦に対する犯行 | 被告人は主婦を姦淫しようとしたが激しく抵抗されたため、殺害した上で姦淫に及んだ。 |
| 乳児に対する犯行 | その後同所において、母親を殺されて激しく泣き続ける生後11か月の長女をも殺害した。 |
| 窃盗 | さらにその後、被害者が管理していた現金等在中の財布1個を窃取して逃走した。 |
世間が激怒した「弁護団の主張」の全貌
第一審・第二審では公訴事実を認めていた被告人ですが、最高裁での破棄差戻し後、新たな弁護団のもとで突如として殺意や強姦の故意を否認し、以下のような特異な主張を展開しました。
| 争点 | 検察側の主張・客観的状況 | 差戻審における弁護団(被告人)の主張 |
| 主婦への暴行と殺害 | 強姦目的で侵入し、抵抗されたため殺害した上で強姦に及んだ。 | 殺意および強姦の故意を否認。**「被害者を生き返らせるため(死者を復活させる儀式として)に姦淫した」**と主張した。 |
| 乳児の殺害 | 泣き叫ぶ乳児を邪魔に思い、あるいは発覚を免れるために殺害した。 | 殺意を否認。被告人は被害者を自分の母、乳児を弟と思い込んでおり、泣きやまない弟をあやすために**「首にひもを巻き、ちょうちょ結びで止めた」**と主張。 |
| 首のひもの意味 | 確実な殺意に基づく絞殺行為である。 | **「母親を亡くして泣き叫ぶ弟に対し、兄ができるせめてもの『償いの印』であり、『償いのリボン』であった」**と主張した。 |
■ 【図解】テレビ番組での懲戒請求扇動事件の全貌
| 項目 | 客観的な事実(ファクト)と法的評価 |
| 当事者 | 【原告】 某重大刑事事件の弁護団に所属する弁護士ら 【被告】 テレビ番組に出演したタレント弁護士 |
| トラブルの発端 | 被告がテレビ番組内で、原告らの弁護活動(世間から荒唐無稽と批判された被告人の主張を展開したこと)を非難し、視聴者に「一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」と呼びかけた。 |
| 生じた結果 | 放送後、原告ら一人につき約600件超の懲戒請求が殺到。原告らは弁明対応などの多大な業務負担と精神的苦痛を強いられた。 |
| 提訴 | 原告らは、それぞれ300万円の損害賠償請求を提起した。 |
原告弁護士の3つの主張
原告(被害に遭った弁護士ら)は、不法行為の成立要件に沿って以下の3点を主張しました。
- ① 違法な加害行為(名誉毀損と扇動) 被告は影響力の強いテレビ番組において、原告らが「被告人の主張を捏造した」という事実無根の中傷を行い、視聴者に向け大量の懲戒請求を執拗に扇動した。
- ② 故意・過失と違法性(弁護士としての職責の曲解) 被告人の弁解を法廷で主張することは、刑事弁護人の正当な職務です。同業者である被告は、原告らに懲戒事由がない(法的根拠がない)ことを専門家として知りながら(知り得たにも関わらず)、あえて不当な懲戒請求を煽りました。
- ③ 損害と因果関係(前代未聞の業務妨害) 扇動の結果、原告ら1人につき600件超の懲戒請求が殺到。名誉や信用が著しく毀損されただけでなく、膨大な弁明書の作成を余儀なくされ、本来の弁護業務への重大な支障と多大な精神的苦痛を被りました。
日本中を敵に回してでも貫く「弁護団の正義」のロジック
凶悪事件で猛バッシングを浴びても、弁護団が最善の弁護活動を行う。弁護団の最大の正義は「被告人の防御権を死守すること」です。
たとえ社会全体が厳罰を求めても、本人が主張を維持する限り、最後の盾として徹底的に寄り添います。この役割を放棄すれば、国家権力の暴走を許し、適正な裁判を受ける市民の権利そのものが崩壊してしまうからです。
「全力で弁護をしたうえで、裁判所の判断に委ねる」。それが弁護人の正義です。
タレント弁護士が扇動した理由:正義のロジック
■ 「世間の常識」を代弁した怒り
被告のタレント弁護士は、自身の呼びかけたその怒りの本質は、対象事件の弁護団の活動に対する強い憤りでした。弁護団は、殺人事件の法廷において「死者をよみがえらせるための行動だった」「赤ちゃんをあやすために首にちょうちょ結びをした」という被告人の特異な弁解を展開していました。
被告は、弁護士資格を持つ大人がこのような荒唐無稽な主張を展開することは、弁護士として許されないとテレビで非難しました。
【図解】真っ向対立!原告(弁護団)と被告(タレント弁護士)の主張一覧
裁判で争われた4つの主要な争点について、原告側と被告側の主張を表にまとめました。
| 争点 | 被告(タレント弁護士)の主張 | 原告(被害を受けた弁護団)の主張 |
| ① 名誉毀損の成否 | 弁護士懲戒制度の存在を広く告知する目的であり、専ら公益を図るものである。事件は社会の重大な関心事であり、発言には公共性がある。 | 弁護団が主張を「創作」したなどの事実無根の摘示により、名誉と信用を毀損された。懲戒を扇動する目的であり「専ら公益を図る」とはいえない。 |
| ② 扇動の違法性 | 弁護団の活動は最高裁判決を無視したものであり、一般市民が弁護士の品位を失う非行に当たると判断することには事実上・法律上の根拠があり違法ではない。 | 被告人が殺意を争っている場合に、弁護人が被告人の意見に反する弁論を行うことは職責・倫理に反する。被告は調査検討義務を怠り不当に扇動した。 |
| ③ 請求殺到との因果関係 | 懲戒請求は一般市民が自ら得た情報に基づき自発的意思で行ったものであり、テレビでの発言と懲戒請求との間に因果関係はない。 | 放送された地域から大量の請求が来ており、ネット上の書式が利用されている。多数の懲戒請求を広く促した者は被告以外におらず、因果関係は明らかである。 |
| ④ 発生した損害 | 全く同じか類似した内容の懲戒請求であり、一括して手続が進められるため業務に支障はない。原告らの社会的評価は既に全くない状態であった。 | 1人あたり600件超の請求が殺到し、各請求書の精読や答弁書の作成・提出に多大な時間を要した。本来の弁護活動に支障を来し、甚大な精神的苦痛を被った。 |
■ なぜ「正義の呼びかけ」が違法とされたのか?3つの決定打
テレビの前の視聴者からすれば、「許せない弁護士にペナルティを与えよう」という正義感からの行動だったかもしれません。しかし、裁判所は被告(タレント弁護士)の扇動行為を明確に「不法行為」と断罪しました。その理由は以下の通りです。
- マスメディアを使った「不当な負担」の強要弁護士に懲戒事由(ルール違反)があると思うなら、自らが弁護士会に一通の懲戒請求を出せば済む話です。テレビという影響力の強い媒体を使って多数の視聴者を扇動し、対象の弁護士に何百件もの対応を強いることは、懲戒制度の本来の趣旨を逸脱した「不必要な負担の強要」であると判断されました。
- 「多数決」で弁護士の正義は決められない「何万人もの人が懲戒請求したのだから、あの弁護士は世間的にアウトだ」という理屈は法律上通用しません。裁判所は、弁護士の職務が多数派の民意に沿わない場合もあることを指摘し、「懲戒事由の存否を多数決で決めることは本来許されない」と一蹴しました。
- そもそも「懲戒事由」が存在しなかったこれが最も重要です。被告は原告らの弁護活動を「荒唐無稽で弁護士として許されない」と非難しましたが、裁判所は「弁護人が被告人の意向に沿って主張を展開することは、弁護人としての正当な職務である」と判断しました。それを「品位を失う非行」と決めつけた被告の主張には、事実上も法律上も根拠がないと結論付けられました。
■ 弁護士の職責:「社会の敵」でも全力で守る理由
この裁判例から見えてくるのは、刑事裁判における「弁護人」の究極の使命です。
事件の被告人がいかに社会全体から強く非難され、その言い分が世間の常識から外れて不可解に見えたとしても、弁護人は国家権力や世論、マスメディアに屈することなく、被告人の防御権を守り抜かなければなりません。それが憲法と刑事訴訟法で保障された絶対のルールです。
裁判所も、「被告人の主張内容が不合理で荒唐無稽なものであったとしても、被告人がその主張を維持する限り、弁護人がそれに反する主張をすることはできない」と明言しています。
世間の好悪の感情や「けしからん」という道徳論だけで弁護士の活動を制限することは、民主主義と司法制度の根幹を揺るがしかねないのです。
【実務コラム】ネット上の「集団の正義」にご用心
近年、SNSや動画サイトで「あいつを許すな!」「みんなで抗議・通報しよう!」といった呼びかけ(いわゆる炎上、電凸、懲戒請求の扇動)をよく目にします。
しかし、法的な根拠のないまま集団で誰かを攻撃する行為は、本件の裁判例が示す通り、呼びかけた側だけでなく、それに乗っかった一般市民も「不法行為」として高額な損害賠償を請求されるリスクを孕んでいます。
■ 【図解】過熱するネットの正義とリスク
「世のため人のため」と思ってやった行動が、実は取り返しのつかない犯罪や不法行為(損害賠償の対象)に該当するケースが後を絶ちません。代表的な4つのケースを比較します。
| ネット上の行動(よくある正義) | やっている本人の心理(大義名分) | 実際の法的リスク(成立しうる犯罪・不法行為) |
| ① 電凸(でんとつ)・クチコミ荒らし 「みんなで電話して抗議しよう」「低評価をつけて店を潰そう」と呼びかける行為。 | 「悪質な店や企業には、消費者の怒りの声を直接届けて社会的制裁を下すべきだ。」 | 【威力業務妨害罪・偽計業務妨害罪】 大量の電話や虚偽の悪評で業務をストップさせる行為は立派な犯罪です。扇動した者だけでなく、乗っかった一般市民も共犯や損害賠償の対象になります。 |
| ② ネット私刑(特定・晒し行為) 迷惑動画の犯人や不倫報道の相手方などの本名、職場、家族構成を特定してネットに公開する行為。 | 「警察が動かないなら、自分たちが犯人の身元を暴いて社会的に抹殺し、罰を与えるべきだ。」 | 【名誉毀損罪・プライバシー権侵害】 たとえ相手が本当に悪いことをしていたとしても、私人が勝手に制裁を加える権限はありません。重大な人権侵害として高額な慰謝料請求の対象となります。 |
| ③ 「拡散希望」の安易なリツイート 「〇〇は詐欺師です!拡散希望!」といった告発投稿を、裏付けもとらずにリツイート(リポスト)する行為。 | 「被害者を助けるため、あるいはこれ以上被害者を出さないために、多くの人に危険を知らせたい。」 | 【名誉毀損罪(不法行為責任)】 最高裁の判例で、「ワンクリックのリツイートであっても自身の発言として責任を負う」と明示されています。元の投稿がデマだった場合、拡散に加担したあなたも訴えられます。 |
| ④ 集団通報・アカウント凍結の扇動 自分と意見が合わないインフルエンサー等に対し「規約違反でみんなで通報しよう」と呼びかける行為。 | 「不快な発言をする人間はネットから排除されるべき。通報機能という正当なルールを使っているから合法だ。」 | 【業務妨害・不法行為】 正当な理由なく集団でプラットフォームに通報を繰り返し、相手のアカウントを凍結に追い込む行為は、大量の懲戒請求を扇動した事件と同様に「制度の濫用」として不法行為とみなされる可能性が高いです。 |
■ 「みんながやっているから安全」という最大の錯覚
これらの行為に共通しているのは、「多数決の正義」への盲信です。
数千人、数万人が賛同しているから自分の行動は正しい。みんなやっているのだから、自分一人が訴えられるはずがない。そうした集団心理が、個人の法的リスクに対する警戒心を麻痺させます。
しかし、大量の懲戒請求を扇動した弁護士が敗訴した裁判で、裁判所は「多数の者が批判したことのみをもって、その行為が制限されたりペナルティを受けることはあり得ない」と明確に判示しました。つまり、何万人が怒りの声を上げようと、法的な根拠のない集団攻撃は「ただの集団リンチ(違法行為)」に過ぎないのです。
許せない悪事を発見!私刑を防ぐ「正しい怒りのぶつけ方」
理不尽な出来事に出くわしたとき、ご自身でできる合法的な反撃とは何でしょうか?
最も有効なのは、公的機関への「冷静な通報」です。詐欺や悪徳商法は消費生活センターや警察の匿名通報窓口へ。ネット上の違法行為はサイト運営者へ、客観的な証拠を添えて淡々と報告しましょう。
ルールに則り「公的な記録を残す」ことこそが、悪を追い詰める最強の正義です。
たとえ、通報や報告自体が無駄になったとしても、違法な行動を避け正しい行動をすることが重要です。
絶対的な正義が「正義」を破壊する :寛容のパラドックス」とは
哲学者カール・ポパーは、「寛容な社会を維持するためには、不寛容に対して不寛容であらねばならない」(「ルールを壊して他者を攻撃する者」は許してはいけない)という「寛容のパラドックス」を提唱しました。
今回の事件において、テレビの向こうの視聴者たちは「あんなふざけた弁解をする弁護士は許せない!」という強烈な正義感(不寛容)に駆られて懲戒請求を行いました。しかし、「自分の信じる正義に反する者は徹底的に排除してよい」という絶対的な正義感は、やがて他者の意見を一切認めない全体主義(ファシズム)へと変貌します。
行き過ぎた「正義の暴走」は、結果として、誰もが適正な裁判を受ける権利という「正義」を破壊してしまうのです。


