事件の概要は、被告人が長男の友人である少年Bから、指輪などの物品を「盗品であると知りながら」買い取った(贓物故買)、あるいは預かった(贓物寄蔵)というものです。
【被告人がBから受け取った物品】
ネックレス、ペンダント、ブローチ、カセットラジオ、カセットテープレコーダー
- 第一審:少年Bの証言を信用して「有罪」とされました。
- 控訴審(第二審):Bの証言の信用性が否定されたにもかかわらず、検察官は突如として「買い取ったのではなく、お金を貸す担保として預かった(被告人が最初に弁解していた内容)」という予備的訴因を追加し、控訴審もこれを有罪としました。
最高裁は、この控訴審の判断を「重大な事実誤認がある」として「無罪」を言い渡したのです。
賍物寄蔵 昭和58年2月24日 最高裁判所第一小法廷判決
基本的な事実関係と審理の経緯
登場人物と事件の背景
| 属性 | 判決文における表記・設定 | 動画・記事での解説用補足 |
| 被告人 | 元自衛官(23年間勤務、前科なし) | 堅い職種の真面目な人物 |
| 長男 | A | 被告人の息子であり、Bの友人。事件の仲介役。 |
| 非行少年 | B(高校生、のちに死亡) | 他所で窃盗を繰り返し、被告人宅に盗品を持ち込んだ張本人。 |
争点:検察官の公訴事実 vs 被告人の弁解
検察の主張:被告人は盗品と知りながら買い取った。
被告人の主張:担保として預かっただけ。盗品とは知らなかった。
| 項目 | 検察官の主張(本位的訴因:贓物故買) | 被告人の弁解(預かりの事実のみ認める) |
| 行為の内容 | Bが盗んできた指輪やラジカセなど計7回にわたり、盗品と知りながら**「買い受けた」。 | 故買は全面的に否認。「母親が家出するから2万円貸して」と頼まれ、「担保として6点を預かった」だけ。 |
| 時期 | 昭和49年10月〜昭和50年12月下旬(計7回) | 昭和51年2月中旬ころ(1回のみ) |
| 主観(認識) | 完全に「盗品」であると知っていた(確定的な故意)。 | 盗品だとは全く知らなかった(故意の完全否認)。 |
審級ごとの「事実認定」と「判決」の変遷
| 審級(裁判所) | 認められた事実(ストーリーの変遷) | 判決内容・量刑 |
| 第一審 (地方裁判所) | 【検察ストーリーを採用】 非行少年Bの「被告人に買ってもらった」という証言を信用し、ほぼ起訴事実通りに故買を認定。 | 有罪 懲役10月、罰金4万円 |
| 第二審 (東京高裁) | 【検察ストーリー崩壊、しかし…】 長男Aの証言などからBの信用性が否定され、故買は証拠不十分。しかし、検察が後出しした予備的訴因に基づき、被告人の弁解(担保として預かった)を採用。さらに「盗品かも」という未必の故意を無理やり認定して有罪に。 | 有罪(訴因変更) 懲役4月(執行猶予2年)、罰金2万円 |
| 最高裁 (本判決) | 【科学的・論理的思考による大逆転】 「やましさがあった」という供述態度だけでは、未必の故意を推断するには足りない。自衛官としての経歴や物品の市場価値を総合すると、未必の故意すら証明がない。 | 破棄自判・無罪 (全員一致) |
最高裁判所の見解
争点①:「盗品かもしれない」という認識(未必の故意)はあったのか?
第二審の判断:被告人が物品を預かる際に「虫眼鏡で調べてからお金を出した」「少年Bの母親が家出するからお金を貸してほしいという不自然な理由を簡単に信じた」「最初はBから預かったことを隠していた」などの状況から、被告人は盗品かもしれないと認識していたから、有罪。
しかし、最高裁はこれを真っ向から否定します。
| 控訴審の指摘(有罪の理由) | 最高裁の判断ロジック(無罪への推論) |
| 「虫眼鏡で調べた」「不自然な理由で貸した」 | これらの事実は、直ちに「盗品だと認識していた」と推認させるものではない。 |
| 「当初は預かったことを隠していた」「供述が変転した」 | 確かに意識に「やましさ」があったことを推認させる一つの材料にはなる。しかし、それだけでは「盗品かもしれない」と認識していたと断定するには不十分である。 |
| 総合的な証拠評価の欠如 | 少年Bの証言の信用性が失われている以上、被告人とBの従来の関係や、被告人が利得目的で日常的に貴金属の売買を行っていたなどの「特段の事情」を証明する証拠が存在しない。 |
最高裁は、「やましい気持ちがあったかもしれない」という推測だけでは有罪にできず、確たる証拠がない以上、被告人に有罪を言い渡すことは到底できないと結論づけました。
争点②:「後出しジャンケン」のような訴因変更は許されるのか?
この事件のもう一つの見どころは、最高裁判事たちから出された「補足意見・意見」です。 裁判の最終盤になって、検察官が「買い取った」という主張が通らないと見るや、被告人が最初から弁解していた「お金を貸して預かった」という事実に沿って訴因(起訴の内容)を追加したことに対する痛烈な批判です。
- ある裁判官の補足意見: 「弁護側の防御が成功し、無罪判決を確信していた段階で、突如として弁論を再開し、被告人の弁解を逆手にとるような訴因変更を認めることは、公正な攻撃防御を主眼とする当事者主義の理念にもとる」と指摘しています。
- ある裁判官の意見: 「従前は合理性がないと否定していた被告人の弁解を、自らの有罪主張が維持できなくなった段階で取り上げるのは、刑事訴訟手続における公平の理念に反する」と厳しく批判し、そもそもこのような訴因変更は許可されるべきではなかったと述べています。
訴因変更とは、公判の審理過程で明らかになった新たな証拠や事実関係に合わせて起訴内容をすること。無制限に許容すると、被告人が充分に弁解の機会が与えられないため、変更が許されるのは「公訴事実の同一性を害しない程度」に限られます。
本件では、買い取ったことから預かったことへは、法的評価が変わるだけなので、公訴事実の同一性が害することにはなりません。
しかし、今回の訴因変更は、終盤になって突然変更されため、正義に反するのではないかという意見がでています。
まとめ:刑事裁判の鉄則「疑わしきは被告人の利益に」
この事件は、刑事裁判における2つの重要な原則を示しています。
- 確固たる証拠主義: 「怪しい」という状況証拠や推測だけでは有罪にはできず、明確な証拠(特段の事情)がなければならない。
- 適正手続きの保障: 検察官の「後出しジャンケン」のような、被告人の防御権を不当に害する訴因変更は、公平な裁判の理念に反する。
最高裁は実体的な証拠評価に踏み込み、「犯罪の証明がない」として無罪を言い渡しました。国家権力による処罰には、厳格な証拠と公正な手続きが不可欠であることを示す、非常に意義深い判決と言えます。
「疑わしきは被告人の利益に」の根拠となる法令
国際人権B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)第14条第2項「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に従って有罪と立証されるまでは、無罪と推定される権利を有する。」
日本の国内法直接的な文言はないものの、日本はこの条約を批准しているため、憲法98条2項(条約の誠実な遵守義務)により、この「無罪推定の原則」が国内の刑事裁判でも絶対的なルールとして直接的な効力を持つ。
補足:検察官が有罪を勝ち取るにはどのような捜査をすべきだったか
被告人の不自然な態度だけでなく、「盗品であるという認識(未必の故意)」を裏付ける客観的な「特段の事情」を立証する必要がありました。
具体的には、
- ①少年Bが非行少年であると被告人が知っていた事実、
- ②品物の価値に対して担保額が極端に不当(安すぎる)であること、
- ③過去にも利益目的で不審な貴金属売買を繰り返していたこと
などの客観的事実を証拠によって明確に証明すべきでした。


