今回は、地方公共団体が開設・運営する市民病院(赤穂市民病院)で起きた重大な医療過誤事件の判決を取り上げます。執刀医が赴任からわずか9か月の間に11件もの医療事故に関与していたという衝撃的な背景を持つこの事件において、裁判所は「医師の過失」と「病院の責任」をどのように法的に評価したのでしょうか。
判決文の論理を解き明かしていきましょう。
事件名 損害賠償請求事件
令和7年5月14日
神戸地方裁判所 姫路支部 民事部
1. 事件の概要:腰椎手術での悲劇と2つの争点
本件は、腰部脊柱管狭窄症の治療のために赤穂市民病院で腰椎後方除圧術(本件手術)を受けた74歳女性の患者(原告A)が、重度の後遺障害を負った事件です。
原告Aと長女(原告B)が、執刀医である医師Cと、病院を開設運営する市に対して損害賠償を求めました。
被害者:74歳女性 腰椎後方除圧術(本件手術)により両下肢麻痺等の重度の後遺障害を負った。
腰部脊柱管狭窄症によって引き起こされる神経の圧迫を取り除くための手術です。
具体的には、背中側(後方)からアプローチし、神経の通り道である「脊柱管」を広げるために、腰椎部分の椎弓(骨の一部)や棘突起、黄色靭帯などを切除して圧迫を解除します。
実際の執刀においては、医師がスチールバーやダイヤモンドバーといった専用の器具を用いて骨を削り進めるという、極めて繊細な手技が要求される手術。
| 時期 | 事実経過 |
| 令和元年(2019年)7月 | 研修等を終えた被告C(医師)が、本件病院の脳神経外科に入職しました。 |
| 令和元年12月20日 | 患者である原告Aが腰痛を訴え、本件病院を受診しました。 |
| 令和2年1月17日 | 被告Cが原告Aに対し、重度の腰部脊柱管狭窄症であり早急に手術(腰椎後方除圧術)をした方が良いと説明し、原告Aがこれを承諾しました。 |
| 令和2年1月22日 | 【本件医療事故の発生】 被告Cを執刀医として本件手術が実施されました。被告Cは止血をこまめにしないままスチールバーで骨切除を進め、誤って馬尾神経を巻き込んで複数本を切断損傷しました。 |
| 令和2年2月 | 本件病院の医療安全推進室が、被告Cが担当した手術のうち8例(本件医療事故を含む)を医療事故として報告し、病院長は被告Cに手術の中止を指示しました。 |
| 令和2年6月 | 病院長が本件医療事故を「医療過誤」であると判断し、原告Aの家族に報告の上、口頭で謝罪しました。 |
| 令和2年10月23日 | 【本件症状固定日】 主治医(被告Cから交代したD医師)が、原告Aの神経障害症状が回復する見込みは極めて厳しいとして、症状固定と診断しました。原告Aは両下肢の麻痺や重度の膀胱直腸障害などの重篤な後遺障害を負いました(別表第一1級1号相当)。 |
| 令和2年11月26日 | 原告Aがナースコールをせずに一人でトイレに行こうとしてベッドから降り、転倒する事案が発生しました。これを受け、病院は離床センサー付きベッドを導入しました。 |
| 令和3年1月28日 | 【本件転倒事故の発生】 午後3時50分頃、原告Aが病室内のトイレ前で倒れているのが発見されました。原告Aは右脛腓骨骨折等の傷害を負いました。 |
| 令和3年3月 | 本件病院側から原告側に対し、本件医療事故につき適正な損害賠償をする旨の通知がなされました。 |
| 令和3年8月 | 被告Cが本件病院を依願退職しました。 |
| 令和4年6月28日 | 本件病院が記者会見を開き、被告Cが関与した一連の医療事故について謝罪しました。 |
| 令和4年8月31日 | 本件病院が院内協議を行い、急性期医療の治療は終了しているとして原告Aに退院(転院)を勧める方針を決定しました。 |
| 令和5年3月31日 | 原告Aが本件病院を退院し、赤穂中央病院へ転院しました。 |
| 令和5年8月1日 | 原告Aが自宅での療養(自宅介護)を開始しました。 |
| 令和6年7月16日〜 | 原告Aが特別養護老人ホームに入所しました。 |
原告と被告の主張
原告らは、債務不履行や不法行為等に基づき、以下の要件で損害賠償を主張しました。
- 過失(義務違反):医療事故において、執刀医に馬尾神経を切断する極めて悪質な手技上の過失があった。また転倒事故においては、病院側に患者の危険行動を防ぐ見守り・付添義務の違反があった。
- 因果関係・損害:医療事故により両下肢麻痺等の重度後遺障害(1級1号相当)を負い、転倒事故でも骨折等の傷害が生じた。執刀医の多数の事故関与や病院の不誠実な対応を理由とする慰謝料増額を含め、甚大な損害を被った。
争点別:原告(患者側)と被告(医師・病院側)の主張の対立
| 争点 | 原告(患者側)の主張 | 被告(医師・病院側)の主張 |
| ① 医療事故の 慰謝料増額・減額事由 | 執刀医Cは入職後9か月で11件の重大事故に関与するなど技量がなく、本件の過失も故意の傷害に匹敵するほど悪質である。 手術前に虚偽の説明をした上、病院の安全管理も機能していなかった。 事故後も執刀医が不誠実な言動を取り、病院も真相究明をせず執拗に退院を迫るなど不適切な対応であったため、慰謝料は大幅に増額されるべきである。 | 【執刀医・病院共通】スチールバーによる神経損傷は典型的な過失であり、故意に匹敵するような悪質なものではない。他の事故例があることだけで技量不足とはいえず、事後対応も謝罪等を行っており適切であった。 【執刀医C独自の主張】原告らが関与したウェブ漫画等により社会的制裁を受けており、慰謝料の減額事由として考慮されるべき。また、過去の大腿骨骨折(人工骨頭置換術)を既存障害として斟酌すべき。 |
| ② 転倒事故の責任 (見守り義務違反等) | 患者は過去に5回の転倒歴がある転倒危険度の高い状態であった。 事故直前の35分間に離床センサーが7回も作動するなど危険行動が顕著であったため、病院側には危険行動が落ち着くまで看護師が付き添って観察を継続する高度な注意義務があったのに、これを怠った。 | 病院はトイレ移動時のナースコールを指導し、離床センサー付きベッドを使用するなど十分な対策を講じていた。 事故発生時は、何らかの原因でたまたま離床センサーが反応しなかったため対応できなかった。 当時の病棟の患者数や看護師数の体制からみて、一人の患者に付き添って観察を続けることは不可能であった。 |
本件の主な争点は以下の2点です。
- 争点1:医療事故による損害額の算定
- 執刀医Cの手技上の過失により、腰椎部の馬尾神経が切断損傷されたこと(本件医療事故)自体は、当事者間で争いがありません。
- 焦点となったのは、執刀医Cの「悪質な手技上の過失」や「多数の医療事故への関与」、そして「病院側の不適切な事後対応」などが、後遺障害慰謝料の増額事由として認められるかという点です。
- 争点2:病室内での転倒事故における病院の責任
- 原告Aは入院中、病室内で転倒して骨折等のケガを負いました(本件転倒事故)。
- 病院側に、転倒を防止するための「見守り義務」等の違反(使用者責任または債務不履行責任)があったかどうかが問われました。
裁判所のジャッジメント
【証拠評価の科学】裁判所はどのように事実を認定したか?
| 認定された事実(争点) | 裁判所が採用した主な証拠 | 裁判所の事実認定(判断のロジック) |
| ① 執刀医Cの手技上の過失の著しさ | ・診療経過記録(カルテ) ・医師の手技に関する証拠(乙A11) ・本件病院の医療安全推進室・院内事故調査委員会の検証記録等(甲C13、乙A8) | 手術中、出血等により視認性が悪いにもかかわらず、こまめな止血をせずにスチールバーによる骨切除を進めた手技は、経験ある医師において危険を感じさせるものであり、注意義務違反の程度が著しいと認定しました。 また、入職後9か月で11件の事故が医療安全検証の対象となった事実を「技量の稚拙さをうかがわせ、過失の著しさを裏付ける客観的状況」として法的に評価しました。 |
| ② 慰謝料増額事由 (病院の事後対応の不適切さ) | ・弁論の全趣旨 ・当裁判所に顕著な事実(調査内容の開示を求める原告らの要望への対応に時間を要したことなど) | 病院長が医療過誤と判断し家族に口頭で謝罪してから、一連の事故の検証を終えて記者会見で公に謝罪するまでに約2年を要したこと等を認定しました。 被害者や親族の心情への配慮や説明が不足しており、これによって原告がさらに苦痛を受けたと認め、後遺障害慰謝料(3300万円)を算定する上での増額考慮要素としました。 |
| ③ 本件転倒事故における病院の見守り義務違反の否定 | ・診療経過記録等の医療記録(乙A1等) | 事故直前の午後3時31分から48分までの間に離床センサーが計7回鳴ったものの、その都度訪室した看護師により「危険行動がないこと」が客観的に確認されていたと認定しました。 最後のセンサー作動時点において、看護師が付き添って観察を継続しなければならないほどの危険行動が現に生じていたとは言えず、またセンサーが鳴らなかった原因も不明であるため、病院側の付き添い・見守り義務違反(過失)を否定しました。 |
| ④ 将来介護費用の算定 | ・特別養護老人ホーム等の介護関係費の証拠(甲C98) | 介護保険制度の趣旨(損害賠償とは異なる理念に基づく給付であること)や、現状の保険給付が今後も確実とは言えないことを考慮しました。 そのため、将来の24時間体制の職業介護費用については、自己負担額に限定せず、介護保険給付分を含めた実費相当額(日額約1万3000円)を基礎として将来介護費用(約3493万円)を認定しました。 |
医療事故の過失評価:なぜ「著しい過失」と認定されたのか?
裁判所は、執刀医Cの手技について、その過失の程度が「著しい」と厳しく認定しました。その法的な評価の根拠は、以下の事実に基づいています。
① 手術中の危険な手技
- 執刀医Cは、手術中に出血等により視認性の確保が十分ではない状況でした。
- にもかかわらず、こまめに止血をしないまま、スチールバー(骨を削る器具)による骨切除を進めました。
- その結果、スチールバーが硬膜に触れて裂け、逸脱した馬尾神経を巻き込んで複数本を切断損傷しました。
- 裁判所は、この手技が経験のある医師において危険を感じさせるものであったと認め、注意義務違反の程度は著しいと判断しました。
② 9か月間で11件の医療事故検証
原告側は、執刀医Cが入職から9か月間で11件の重大医療事故に関与したことを挙げ、技量の欠如と過失の悪質性を主張しました。これに対する裁判所の「論理(科学的評価)」は非常に冷静かつ的確です。
- 脳神経外科の手術には合併症・偶発症のリスクがあるため、「11事例の医療事故があったことのみをもって、直ちに執刀してはならないほどの技量不足があったとまでは認められない」としました。
- しかし同時に、これら11事例が医療安全の観点から検証すべき事例であったことから、「執刀医Cの技量が稚拙であったことをうかがわせる事情」であり、「本件医療事故における注意義務違反の程度が著しいものであったことを裏付ける事情」であると明確に認定しました。
単なる感情論ではなく、他の事故歴を「本件の過失の重大性を補強する客観的状況」として評価した点に、裁判の緻密な論理が見て取れます。
3. 慰謝料増額のファクター:甚大な被害と病院の事後対応
裁判所は、最終的に原告Aの後遺障害慰謝料として3300万円という高額な金額を認定しました。これを算定する上で、以下の要素が法的に考慮されています。
- 後遺障害の重大性と苦痛:原告Aは両下肢の機能不全により自力での歩行が不可能となり、極めて重度の膀胱直腸障害と、永続的に鎮痛剤が必要なほどの神経障害性疼痛を残しました(別表第一 1級1号相当)。裁判所はこれを「算定困難な苦痛を伴う」と評価しました。
- 病院の事後対応の遅れ:病院長は令和2年6月に家族へ口頭で謝罪し、令和3年3月には賠償の意向を通知したものの、一連の医療事故を総括して記者会見で謝罪したのは令和4年6月でした。
- 裁判所は、これら一連の対応について、「原告Aやその親族の立場・心情に十分に配慮し、迅速に説明を尽くしたと評価するには不足がある」と指摘しました。被害者がこの対応からさらに苦痛を受けたと認め、慰謝料算定において相応に考慮すべき事由と判断しました。
4. 転倒事故の法的限界:病院はどこまで患者を見守るべきか?
一方で、入院中に発生した転倒事故(争点2)については、裁判所は病院側の責任を否定しました。
原告Aは転倒事故当日、危険行動や単独行動を頻繁に繰り返しており、事故直前には計7回も離床センサーが作動していました。しかし裁判所は、以下の論理で病院の過失を退けました。
- センサーが鳴った各時点で看護師が訪室し、いずれも「危険行動がないこと」を確認していました。
- 最後にセンサーが鳴った時点までに、看護師が「付き添い続けて観察を要するような危険行動」が現に生じていたとは認められませんでした。
- 事故時に離床センサーが鳴らなかった原因は不明であり、看護師が不具合を認識できる状況にあったとは断定できず、付添観察義務を肯定する事情にはならないと判断されました。
医療現場において、限られた人員の中で「すべての転倒を完全に防ぐことは不可能である」という現実的な限界と、法的義務の線引きが明確に示された結果と言えます。
5. 判決のまとめ
本判決において、裁判所は以下の通り損害賠償を命じました。
- 原告Aに対し:約8668万円(将来の介護費用約3493万円、後遺障害慰謝料3300万円などを含む)
- 長女である原告Bに対し:220万円(近親者固有の慰謝料等)
- 上記金額につき、市と執刀医Cに連帯して支払うよう命じました。
本件は、極めて重大な医療過誤に対し、医師の「手技の過失の著しさ」や、背景にある「多数の医療事故への関与」、そして「病院の事後対応の不足」が、法廷という場で客観的な証拠に基づき、どのように慰謝料等に反映されるのかを如実に示した裁判例です。
「事件の教訓」:どうすればミスは防げたのか?
医師と市(病院)が本件医療事故をどう防ぐべきだったか、判決から以下の防止策が読み解けます。
医師(執刀医)の防止策 本件の直接的な原因は、手術中の出血で視界が悪いにもかかわらず、こまめな止血を怠り、スチールバー(骨を削る器具)で切除を進めた手技上の過失です。視界不良時の基本である「確実な止血」を徹底していれば、馬尾神経の巻き込み損傷は防げました。
市(病院)の防止策 執刀医は本件(令和2年1月)以前にも、赴任後の数か月間で複数の医療事故に関与していました。病院の医療安全体制が機能し、早期に検証を行って手術を控えさせる等の監督措置を講じていれば、本件を防げた可能性があります。
実務コラム:高額賠償金 医師個人で支払えるのか?
判決で命じられた約8668万円という高額な賠償金。「勤務医個人が払えるの?」と疑問に思うかもしれませんが、賠償金が支払われないリスクは極めて低いです。理由は2つあります。
① 医師賠償責任保険の存在 多くの臨床医は賠償責任保険に加入しており、1事故あたり1億円から数億円の補償枠を持っています。個人の貯金ではなく、基本的にはこの保険金から支払われます。
② 病院との「連帯責任」 医療訴訟では、雇用主である病院にも連帯して支払いが命じられています。病院自体も賠償責任保険に加入しており、医師と共同で責任を負うため、回収漏れの心配は低いです。ただし病院が倒産すれば回収は困難となります。
裁判は「勝つこと」だけでなく、「確実に回収するターゲット(ディープポケット)」を最初から見極める法務戦略も重要なのです。


