【無罪事例研究】前科6犯の万引きが無罪?裁判所が暴いた「脳のエラー」と、法廷を支配した精神医学のリアル

無罪×裁判

財布には7万円の現金が入っているのに、わずか数百円の弁当やパンを万引きする。 過去に6回も窃盗で有罪になり、刑務所に入っているのに、また繰り返してしまう

このような事件のニュースを見ると、多くの人は「反省していない」「厳罰に処すべきだ」と怒りを感じるでしょう。しかし、法廷という空間において、裁判官は感情で人を裁きません。被告人の行動の裏にある「脳のメカニズム」を科学的に解剖し、彼に本当に「犯罪の責任」を問えるのかを冷徹に判定します。

今回は、令和3年に神戸地方裁判所姫路支部で実際に言い渡された「常習累犯窃盗事件」の判決をベースに、人間の脳が壊れたとき、法律はそれをどう裁くのか(あるいは裁かないのか)という法廷のリアルを解説します。

常習累犯窃盗事件 令和3年2月24日 神戸地方裁判所 姫路支部 刑事部

事件の概要:あまりにも「合理的」な犯行

事件の客観的な事実は非常にシンプルです。 令和元年6月、被告人は自宅から約3キロ離れた店舗へ自転車で赴き、2日間にわたって弁当やワイン、パンなどを隠し持って万引きしました

逮捕された被告人は、犯行の理由をこう語っています。 「お金が惜しかった。自宅の近くでは顔が知られていて捕まるから、遠くの店まで行った」

人目を避け、遠くまで移動し、お金を節約するために盗む。これは一見すると、非常に理にかなった「合目的的(ごうもくてきてき)」な行動に見えます 。自分が悪いことをしているという認識(違法性の認識)も間違いなくありました

普通に考えれば、言い逃れのできない実刑判決(刑務所行き)です。しかし、裁判長は被告人に「無罪」を言い渡しました 。その鍵は、2人の精神科医による「鑑定」にありました。

常習累犯窃盗事件の概要(客観的事実)

項目第1事件第2事件
日時令和元年(2019年)6月19日 午前10時20分頃 令和元年(2019年)6月21日 午前10時23分頃
場所兵庫県加古川市内の店舗(被告人の自宅から直線距離で約3km) 同店舗
被害品と被害額弁当1個ほか3点(合計862円相当) パン1個、ワインほか1点(合計779円相当)
犯行の手口買い物かごに商品を入れた後、人目のない場所で衣類のポケットや上着の中に隠して退店した ワインをかごに入れ、パンは直接ズボンのポケットに隠した 。その後ワインも上着に入れ、会計せずに店を出ようとしたところを店員に発見され、逮捕された
逮捕時の所持金現金約7万円を所持していた
本人が語った動機「金惜しさ」からの犯行 。自宅近辺では顔が知れており犯行が発覚してしまうため、わざわざ遠方で犯行に及んだと供述

本件における対立構造(検察官VS弁護人)

争点(チェックポイント)検察官の主張(処罰を求める立場)弁護人の主張(被告人を守る立場)備考(法廷での状況)
① 客観的行為の有無
(実際に万引きをしたか?)
行為を行った 行為を行った 争いなし
② 責任能力の有無・程度
(犯行当時の精神状態)
完全責任能力である
(=病気の影響はなく、通常通り刑罰を科すことができる)
心神喪失の状態であった
(=病気の影響で善悪の判断や行動の制御ができないため、無罪にすべき)
犯行時の「脳の状態」を巡る最大の争点です。精神科医の鑑定が勝負の分かれ目となります。
③ 訴訟能力の有無
(現在の裁判を受ける能力)
訴訟能力を有する
(=裁判の手続きを理解し、自分を守る防御活動ができる)
訴訟能力を有さない
(=記憶障害等により、自分が受けている裁判の意味を理解できない)
そもそも「現在の被告人を裁判にかけてよいのか?」という、手続の根幹を揺るがす争点です。

    つまり、法廷での対立構造は「万引きをしたか、していないか」ではなく、「被告人の精神状態に、刑罰を与える前提となる法的な責任と理解力を認めてよいのか」という、極めて医学的かつ専門的なポイントのみに絞られていました。

    刑事裁判における「責任能力」の意義と判定基準

    責任能力の判定は、精神科医による「医学的な診断(病名)」と、裁判官による「法的な評価(その病気がどれだけ行動に影響したか)」のハイブリッドで行われます。

    1. 責任能力の「意義」と「2つの判定要素」

    なぜ責任能力が必要なのか、そして具体的にどのような「脳の能力」を指すのかを整理した表です。

    項目法学的な定義(意義・意味)科学的・心理学的な視点(弁護士の解説)
    責任能力の意義
    (なぜ必要なのか)
    自らの行為の是非を判別し、それに従って行動を制御できる能力。これを持たない者を罰してはならないという近代刑法の大原則(責任主義)。
    【刑罰というシステムの限界】
    刑罰の目的は「悪いことをしたと反省させ、次からやめさせること」です。病気で脳の機能が壊れており、反省の回路が存在しない人にペナルティを与えても無意味(犯罪抑止にならない)だからです。
    判定要素①
    事理弁識能力(認知)
    自分の行っている行為が「法的に許されない悪いことだ」と正しく認識し、判断する能力。【認知のバグ】
    重度の幻覚や妄想により「悪魔を退治している」「自分は攻撃されている」と現実を誤認し、客観的な事実認識のシステムが破壊されていないかをチェックします。
    判定要素②
    行動制御能力(制御)
    善悪の判断に従って、自分の行動をコントロールする(思いとどまる)能力。【ブレーキ機能の喪失】
    「悪いこと」とは分かっていても、病気の影響で脳のブレーキが全く効かず、衝動を抑えること(反対動機の形成)が物理的に不可能になっていないかを分析します。

    2. 裁判所の結論:責任能力の「3つのレベル(判定基準)」

    上記の2つの要素(認知とブレーキ)がどの程度壊れているかによって、裁判所は被告人の状態を以下の3つのレベルに分類し、判決を下します。

    判定されるレベル状態の基準(能力の喪失度合い)刑事裁判での結果(刑法39条)
    ① 完全責任能力弁識能力も制御能力も、十分に備わっている状態。あるいは病気であっても、犯行への影響が軽微である状態。通常通り、有罪として処罰される
    ② 心神耗弱
    (しんしんこうじゃく)
    精神の障害により、弁識能力または制御能力が**「著しく減退」**している状態(ブレーキが壊れかけている)。有罪だが、法律上必ず**「刑が減軽」**される(例:死刑基準でも無期懲役になる等)。
    ③ 心神喪失
    (しんしんそうしつ)
    精神の障害により、弁識能力または制御能力が**「完全に失われている」**状態(ブレーキが完全に存在しない)。罪に問うことができず、**「無罪」**となる。※その後、医療観察法に基づく強制的な治療処遇などに移行する。

    💡 法廷の裏側:決めるのは「医者」ではなく「裁判官」

    ここが最も誤解されやすいポイントですが、「被告人が心神喪失かどうか」の最終決定権は、精神科医ではなく裁判官にあります。

    精神科医の鑑定(この人は統合失調症です、等)は非常に尊重されますが、それはあくまで「生物学的なデータ」に過ぎません。そのデータをもとに、「この病状なら、犯行当時にブレーキを踏むのは法的に期待できなかっただろう」と、究極の「規範的(ルール的)な評価」を下すのは裁判官の仕事です。

    だからこそ、検察官と弁護人は、証拠や鑑定結果を巡って「彼のブレーキは完全に壊れていた!」「いや、まだ半分効いていたはずだ!」と、法廷で激しい論理のぶつかり合いを展開するのです。

    法廷での医学バトル:2人の精神科医の見解

    被告人の脳内で何が起きていたのかを探るため、法廷には2人の専門医の見解が提出されました。裁判所が選任した「E医師」と、検察官がセカンドオピニオンとして依頼した「F医師」です

    裁判官は、この2人の診断結果を「科学的な妥当性」という観点から厳格にジャッジしました。

    比較ポイントE医師(裁判所が選任)F医師(検察官が依頼)裁判所の評価
    診断名血管性認知症、発達障害 血管性認知症、統合失調症の残遺状態 発達障害は発育歴の精査が必要だが、E医師はそれを行っておらず採用できない 。過去の診断歴(昭和56年)と整合するF医師の「統合失調症」の診断を採用する
    調査の緻密さ面談はわずか1時間程度 。過去の診療録や録画DVDを見ていない資料があった 記録を踏まえ、十分な時間をかけて面談と評価を行った F医師の見解は客観的資料と整合しており不合理な点はない 。E医師の鑑定は前提資料の精査方法に問題があり、信用性に慎重な検討を要する
    犯行のメカニズム疾患の影響で、原始的な衝動を通常の倫理観で制御できなかった 違法性の認識はあるが、統合失調症の影響で「盗もう」と思った時に反対動機を形成できず、行動を制御できなかった 両者の結論(自制心の欠如)は矛盾しない 。F医師が指摘する「反対動機の形成困難」という機序を事実として認定する

    ここで驚くべきは、裁判所が自ら選んだE医師の鑑定を「調査不足」として退け、相手方(検察)が連れてきたF医師の科学的分析を採用したことです 。刑事裁判が、いかに証拠の客観性と論理を重視しているかが分かる名シーンです。

    犯罪を止められない「反対動機の喪失」とは?

    F医師の診断により、被告人が長年の「統合失調症」と「血管性認知症」により、脳の機能に重大なバグを抱えていたことが証明されました

    ここで最も重要な法的・心理学的概念が「反対動機(はんたいどうき)」です。

    人間は誰しも「タダで手に入ったらいいな」という原始的な欲求を持ちます。しかし同時に、「でも、捕まったら刑務所行きだ」「店の人に迷惑がかかる」というブレーキ(反対動機)が働き、犯罪を思いとどまります。

    しかし、慢性化した統合失調症の被告人は、規範意識が著しく低下しており、この「ブレーキを踏む能力」が完全に壊れていました 。 「お金がもったいないから盗もう」と思った瞬間、それを止めるための心理的プロセスが作動せず、体が無意識に動いてしまう状態だったのです 。過去の同種の前科も相まって、万引きは「体が覚えている」反射的な行動に過ぎませんでした

    法律の世界では、「悪いことだと分かっていても、病気のせいで自分をコントロールできない状態」を「心神喪失(しんしんそうしつ)」と呼び、刑罰を科すことができません 。被告人はまさにこの状態にあったと結論付けられました

    裁判すら理解できない「記憶のランダム化」

    さらに、この裁判ではもう一つの大きな問題が発生していました。被告人が「自分が何の裁判を受けているのか理解できない(訴訟無能力)」状態だったのです

    認知症と統合失調症の影響により、被告人の記憶は「ランダム化」していました 。 検察官と裁判官の違いも分からず、少し前に説明された「黙秘権」の意味もすぐに忘れてしまいます 。メモを取っても、メモを取ったこと自体を忘れてしまうのです

    刑事裁判は、被告人が「自分を守るため(防御)」に戦う能力があることを前提としています 。弁護士がサポートするにしても、記憶が数分で消えてしまう被告人とは、防御の作戦を立てることすら物理的に不可能です

    前代未聞の結末:永遠の裁判停止か、無罪か?

    法律(刑事訴訟法第314条)では、被告人が裁判を理解できない状態(訴訟無能力)になった場合、「回復するまで裁判をストップしなければならない」と定められています

    しかし、被告人の認知症や統合失調症は、現代の医学では「回復の見込みがない」病気でした 。 ルール通りに裁判をストップすれば、被告人は死ぬまで「裁判中の身」として法的に宙ぶらりんの刑罰にも等しい状態に置かれてしまいます

    そこで裁判長は、法律の例外規定(同条ただし書)を適用するという英断を下しました 。 「客観的な証拠は揃っているし、検察官も弁護士も十分に議論を尽くした。被告人が心神喪失であることは科学的に明らかだ。ならば、これ以上裁判を長引かせず、今ここで最も被告人に有利な『無罪』を宣告して解放すべきである」という論理です

    刑事訴訟法第314条1項
    被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。

      まとめ:刑罰は「自由な意思」にのみ下される

      「万引きしたのにお咎めなしなんて許せない」と思う感情は自然なものです。

      しかし、国家が個人の自由を奪う「刑罰」は、自分の意思で行動をコントロールできる人間(自由意志を持った人間)に対してのみ行使されるべきだという、近代法学の強固な原則があります。

      壊れたブレーキのまま走り出してしまった車を「気合で止まれ」と罰しても、社会は安全になりません。今回、法廷という空間が精神医学のデータを冷静に分析し、「彼に必要なのは刑罰ではなく、医療と福祉のサポートである」と科学的に判断したことは、司法の健全さを示す一つの証左と言えるでしょう。

      監修/執筆
      弁護士町田北斗

      弁護士 町田北斗(東京弁護士会所属):YouTubeチャンネル「刑事裁判を科学する」運営
      日々法廷に立つ現役の弁護士。法律の専門家としての知見を活かし、難解な刑事手続きや民事との違い、裁判官の思考回路などを一般向けに分かりやすく解説する「教養エンタメ」コンテンツを発信中。読者・視聴者の知的好奇心を刺激し、法学の面白さを広めることをライフワークとしている。

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