【正当防衛】87歳男性の暴行が無罪!あおり撮影に対する体当たりに正当防衛を認めたロジック

無罪×裁判

建設工事の騒音トラブルから発展した暴行事件で、一審の有罪判決が高裁で「無罪」へと覆る逆転判決が言い渡されました

被害者とされる男性の「立ち塞がり」や「スマートフォンでの撮影」が、単なる話し合いの要求ではなく、相手をわざと怒らせて手を出させる不当な挑発行為(急迫不正の侵害)であったと認定された興味深い事例です 。事件の経緯と、裁判所が判断を覆した理由を紐解きます。

事件名暴行被告事件
裁判所広島高等裁判所 第1部
裁判年月日令和4年3月29日
結果無罪(破棄自判)
原審裁判所広島地方裁判所

事件の当事者と背景

  • 被告人(無罪となった人物): 87歳の男性。身長約160cm、体重約62kg 。
  • A(被害者とされる人物): 45歳の男性。身長約170cm、体重約70kg 。被告人の自宅近くで行われていた新築工事の現場責任者(請負会社社長) 。
  • 事件の背景: 被告人は、工事の開始時間が早すぎることや終了時間が遅すぎることに不満を持ち、ほぼ毎日現場を訪れてAらと口論を繰り返していました 。

【図解】事件当日のタイムライン

事件は令和3年4月7日の夕方に発生しました

状況具体的な内容
帰宅中の被告人午後5時45分頃、現場での口論を終えた被告人は、自宅に向かって歩き出しました 。
Aの追跡と挑発Aはスマートフォンで録画しながら、「唾飛ばすな。汚いの」「頭おかしいんか」などと挑発的な言葉を浴びせて被告人を追いかけました
Aの立ち塞がりAは「謝れよ」と言いながら被告人を追い越し、正面に回り込んで進路を塞ぎました
被告人の体当たり自宅へ向かうため、被告人はそのまま前進し、Aの左胸辺りに右肩をぶつけました
Aの拘束と通報その後、Aは素早く体を反転させ、被告人の左腕を脇に挟み込んで拘束し、息子に「警察呼べ」と録画・通報を指示しました 。
被告人の抵抗拘束から逃れるため、被告人はAの服を掴んで体を揺らすなどの行為に出ました 。

【図解】正当防衛の成立要件と具体例

「相手が先に手を出してきたから、やり返しても正当防衛だよね?」――世間ではよくこのように言われますが、実は刑事裁判において「正当防衛(刑法第36条)」が完全に認められて無罪になるハードルは非常に高いのです。
正当防衛が成立するためには、法律上定められた3つの厳格な要件をすべて満たす必要があります。それぞれの要件の意味と、判断の分かれ目となる具体例を表にまとめました。

成立要件(ステップ)意味・内容正当防衛が【認められる】例(無罪)正当防衛が【否定される】例
1. 急迫不正の侵害
(今まさに危険か)
**「現在進行形」または「今まさに直面している」違法な攻撃であること。過去の恨みや、遠い将来の予測に対する反撃は認められません。路上で突然、見知らぬ男が包丁を振りかざして襲いかかってきた。「昨日殴られた仕返し」として、翌日相手の家に乗り込んで殴った。(※急迫性がないため単なる暴行罪)
2. 防衛の意思
(守る目的か)
自己または他人の権利(生命、身体、財産など)を守るために行った行為であること。「よし、これを口実に痛めつけてやろう」という積極的な加害意思はNGです。相手に殴りかかられ、恐怖を感じて「やめてくれ!」と相手を突き飛ばした。相手が殴りかかってくることを事前に予期し、「いい機会だからボコボコにしてやろう」と待ち構えて反撃した。(※積極的加害意思があるため喧嘩両成敗)
3. やむを得ずにした
行為
(相当性)
反撃の手段や程度が、身を守るために**必要最小限(妥当なバランス)**であること。やりすぎは禁物です。素手で殴りかかってきた相手に対し、胸を強く押し返して転倒させ、その隙に逃げた。素手で胸ぐらを掴んできた相手に対し、持っていた金属バットで相手の頭を何度もフルスイングして重傷を負わせた。(※やりすぎ=「過剰防衛」となり有罪。ただし刑が減軽されることはある)

💡 刑事裁判のプロの視点:よくある2つの誤解

正当防衛を主張する際、法廷で必ずと言っていいほど壁になるのが以下の2点です。

① 「喧嘩(けんか)」は原則として正当防衛にならない
お互いに暴言を吐き合い、「やるのか!」「こいよ!」と胸ぐらを掴み合うような、いわゆる「喧嘩(闘争行為)」の場合、裁判所は「お互いに攻撃する意思(積極的加害意思)があった」とみなし、原則としてどちらにも正当防衛を認めません。双方が暴行罪や傷害罪に問われます。

② 「正当防衛(無罪)」と「過剰防衛(有罪)」の違い
要件1(急迫不正の侵害)と要件2(防衛の意思)を満たしていても、反撃のパワーが強すぎたり、武器を持たない相手に凶器を使ったりして要件3(相当性)をオーバーすると、「過剰防衛」となります。

過剰防衛は犯罪そのものは成立する(有罪になる)ため、無罪にはなりません。ただし、パニックになってやりすぎてしまった情状が考慮され、刑罰が軽くなったり、免除されたりする措置がとられます。

「身を守るためなら何をしてもいいわけではない」というのが、刑事裁判における絶対的なルールなのです。

【図解】検察官と弁護側の主張の対立

本件の最大の争点である「Aの立ち塞がり行為の性質」と「被告人の反撃の妥当性」をめぐる両者の主張を表にまとめました。

争点(法廷での議論の的)検察官の主張(正当防衛は不成立・有罪!)弁護側(被告人)の主張(正当防衛・無罪!)
1. Aが立ち塞がった「目的」と「違法性」【話し合い目的であり、平穏である】
Aの立ち塞がり行為は「話合い目的」という社会的に許容されるものであり、事前に「謝れよ」と言っていることからも、被告人を謝らせようとした意図が推認される 。刑法の構成要件にも該当せず、態様も平穏であるため「不正の侵害」には当たらない
【立ち塞がり自体が急迫不正の侵害である】
Aは左腕で被告人の首を巻くなどの暴行をしてきた 。仮に、首に腕を巻く行為や手を広げる行為がAになかったとしても、Aが立ち塞がった行為自体が「急迫不正の侵害」に当たる
2. 回避可能性
(避けて通れたか)
【脇を通り過ぎることは可能だった】
Aは左手にスマートフォンを持ち、右手も大きく横に広げていたわけではないため、被告人がAの脇を通り過ぎることは十分に可能であり、ぶつからなければ帰宅できないわけではなかった
(※弁護側は、そもそもAの行為が急迫不正の侵害であり、回避義務はないという前提で正当防衛を主張
3. 被告人の行為の性質
(防衛の意思があったか)
【単なる暴力であり、防衛ではない】
被告人の暴行には、通行妨害を排除するという意図は全く認められず、単に暴力を振るったにすぎない 。進行方向にいる者を自己の判断で暴力で排除可能とすれば、正当防衛の趣旨から大きく外れる
【身を守るための正当防衛である】
被告人の暴行は、Aによる急迫不正の侵害に対する正当防衛行為である 。仮に正当防衛の要件を完全に満たしていなかったとしても、誤想防衛行為(本人は防衛のつもりだった)に当たり無罪である

💡 刑事裁判のプロの視点:検察の「机上の空論」を一蹴した高裁

検察官は、Aの行動を「平穏な話し合い目的 」とし、「手を広げていなかったのだから、横を通り抜けられたはずだ 」と主張しました。これは、被告人の行為を「防衛ではなく単なる暴力 」と印象付けるための典型的な論法です。

一審(有罪)と高裁(無罪)で分かれた判断

一審(広島地方裁判所)は、被告人の行為を有罪(暴行罪)としました 。しかし、二審(広島高等裁判所)はこれを破棄し、正当防衛を認めて無罪としました 。両者の見解の決定的な違いは以下の通りです。

争点一審(有罪)の判断高裁(無罪)の判断
Aが進路を塞いだ目的工事トラブルについて、被告人と話し合いを続けるためであった 被告人を挑発して暴行に及ばせ、その証拠を確保して警察に検挙させるためであった
Aの行為の違法性体を掴んだり腕を広げたりする積極的な通行妨害行為はなく、急迫不正の侵害はない 自宅へ帰る自由を侵害しており、あえて挑発的な発言をして感情的にさせている行動は社会的相当性を逸脱する「不正の侵害」である
被告人の反撃の妥当性相手からの違法な侵害がないため、正当防衛は成立しない 両者の体格差・年齢差も考慮すれば、立ち塞がる相手を押しのけるための体当たりや、拘束から逃れる抵抗は防衛手段として相当である(正当防衛)

判決の決め手:客観的証拠(動画)が語る「真の目的」

高裁が判断を覆した最大の理由は、A自身やその息子が撮影していた「動画」の存在です

Aは「話し合いのため」「謝らせるため」に立ち塞がったと主張していましたが、動画には、Aが汚い言葉で被告人を挑発し、暴力を受けた瞬間にすぐさま「録画しているか確認」し、「警察を呼ぶよう指示」する様子が記録されていました

裁判所は、真に話し合いを求めているなら相手を感情的にさせるはずがなく、Aの行動は「暴行を誘発して逮捕させるための不当な罠(不正の目的)」であったと見抜きました 。結果として、87歳の被告人が無理やり進路を塞がれ、拘束された状態から帰宅するためにとった行動は、「やむを得ない防衛行為」として完全に合法であると認められたのです

【実務コラム】起訴する必要があったのか?

検察官はなぜ起訴したのか?

起訴するかどうかの判断基準

検察官が事件を起訴するかどうかは、刑事訴訟法に基づく「起訴便宜主義」によって決まります。主な判断基準は以下の通りです。

  • 証拠の十分性: 裁判で確実に有罪を立証できる客観的証拠が揃っているか。
  • 犯罪の重大性: 被害の規模、犯行の悪質性、社会に与える影響。
  • 犯人の情状: 年齢、生活環境、前科前歴の有無。
  • 事後の状況: 本人の反省、示談の成立や被害弁償、被害者の処罰感情。

これらを総合的に評価するため、証拠が十分にあっても、あえて起訴しない「起訴猶予」という判断を下すことも認められています。

検察官はなぜ87歳の高齢男性を起訴する必要したのか?

「87歳のおじいちゃんを起訴するなんて価値がない(無駄だ)」と感じるのも当然の感覚です。しかし、検察が起訴に踏み切ったのには明確な理由があります。

最大の理由は、相手方(A)が「自分からは一切手を出さず、被告人から暴行を受ける瞬間を動画に収めていたから」です。検察官はこの表面的な客観証拠を見て、「暴行罪として十分に立証できる」と判断しました。また、Aが執拗に警察を呼び、強い処罰感情を示していたことも起訴を後押ししています。

結果的に高裁で「Aの悪質な罠(挑発)であり正当防衛」と見抜かれ無罪となりましたが、一審では検察の狙い通り「有罪」が出ていました。証拠の切り取り方次第で有罪に持ち込めると踏んだ検察の判断は、実務上は決して「無価値」や「的外れ」ではなかったというのが、刑事裁判のリアルな恐ろしさです。

1件の刑事裁判にかかるコストの内訳(独自試算)

国家権力である「起訴」を発動し、刑を確定させるまでには、主に以下の4つの機関の人件費がフル稼働します。

関与する機関・人物発生する主なコスト(人件費・経費)
1. 警察(捜査段階)警察官の人件費(複数人の刑事による張り込み、取り調べ、書類作成など)
鑑識・科捜研の費用(DNA鑑定やデジタルフォレンジック等の専門調査費)
・被疑者の留置場での食費・生活費
2. 検察(起訴の判断)検察官、検察事務官の人件費(証拠の精査、被疑者の再聴取、起訴状の作成)
・※法務省の予算の中でも、検察業務には毎年数百億円の国費が投じられています。
3. 裁判所(公判段階)裁判官(単独または3名)、書記官、廷吏の人件費
・裁判員裁判の場合は、一般市民(裁判員)への日当・交通費
・法廷の維持費や証人への日当
4. 国選弁護人(防衛側)・被疑者・被告人に資金がない場合、国が弁護士費用を負担します。
・事件の難易度にもよりますが、1件あたり数万円〜数十万円の国費が支払われます。

これだけの国家公務員が何日も、時には何ヶ月もかけて1つの事件を処理するため、万引きのような比較的単純な事件であっても、「被害額(数百円)よりも、起訴して裁判にかけるコスト(数百万円)の方が圧倒的に高い」という逆転現象が常に起きています。

裁判官や検察官などの公務員にはコスト意識がありません。しかし、国家の資源(公務員の時間や場所など)を使う以上は、コスト意識を持つことも重要であると考えます。

監修/執筆
弁護士町田北斗

弁護士 町田北斗(東京弁護士会所属):YouTubeチャンネル「刑事裁判を科学する」運営
日々法廷に立つ現役の弁護士。法律の専門家としての知見を活かし、難解な刑事手続きや民事との違い、裁判官の思考回路などを一般向けに分かりやすく解説する「教養エンタメ」コンテンツを発信中。読者・視聴者の知的好奇心を刺激し、法学の面白さを広めることをライフワークとしている。

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